ティファール派である。
お料理は大好きだ。
実は甘い物が嫌いだし、おやつをあまり食べないので
ケーキやスウィーツは一切作らないが、
つまみや肴はいくらでも作る(いくらでも食べるとも言う)
早いのが取り柄で、特に漬け物だの梅干しだのお赤飯だのおせち料理だのと言った
「おばあちゃん系」は大の得意だ。
もちろん間もなく本物のおばあちゃん世代に突入する(笑)ので、珍しいことでも何でもない。
で、本題である。
私の相棒であるティファールが限界を迎えたのでリニューアル(買い換え)した。
同じシリーズを購入したが、
蓋のつまみや、フライパンの手などが、より使いやすくなっていた。
微妙な、ほんの少しのことだが改善されていた。
このことに、一人静かに台所で感涙している(ちょっと大げさに言ってる)。
クレームを言うほどのことでもないし、基本は気に入っている。
誰かが「お客さま窓口」に言ったのかもしれない。
しかし、この小さな改善が見て取れるのがすごいことだと思った。
決定的かつ致命的な問題ではない。
ベターという程度のこと。
しかし、使ってる人間にとっては、些細なことだがありがたい。
愛用品や、行きつけの店の、ちょっとしたサービスの改善や
気になっていた欠点の修正には本当に学ぶところが大きい。
クレームは改善、改革の最大のチャンスだが、
クレームをいただく前に、自らの力で改善をすることができる
組織やチームには、きっとすばらしいメンバーとリーダーがいるのだろうと思う。
より高い満足を提供するために、
自分たちの作っているものに満足、慢心せずに常にもっと、もっとと追及をする。
「これでいい」というゴールは永遠にこない。
常に上を見て、前を見て、目標を定めてそれに向かってチーム一丸となって邁進する。
昨日より今日。
今日より明日。
今日から今日への変化はごくわずかで誰にも気がついてもらえないことなのかもしれない。
しかし、千里の道も一歩から。
一歩でも踏み出すことが出来ていれば、そして目指すところに一途であれば、
必ず、達成をすることが出来ると信じている。
ほんの少しの改善を積み重ねていける人間でありたい。
人として成長を続けたい
(身体のサイズのことではない)
そう思ったときに、
叱ってくれる人、注意をしてくれる人、意見を闘わせてくれる人は
尊い人になる。
成長を放棄すると
周囲はすべて敵になる。
敵からは身を守ろうとする。
距離を置こうとする。
世界はどんどん小さくなる。
過去にしがみつく。
自分を分かって貰おうとする努力は怠らないが
他人を分かろうとする努力は拒絶する。
視野が狭くて殻が固いから、何を言われても気づくことの出来ない悲しさ。
逆境は神の恩寵的試練
これがス〜ッと飲み込めるのは、
人が成長しようとするからだ。
多くの「お陰様」で1つ階段を上れたときに、
見えていた世界は大きく変わる。
同じモノをどこから眺めているか? だけのこと。
変わったのは他人ではなくて自分。
過去と他人は変えられないが、
未来と自分は変えられる。
何を守りたいのだろう?
どうして立ち止まるのだろう?
「やったことがないから出来ない」
「先が見えないから出来ない」
「知識がないからアイデアが出せない」
「○○が足りないから、ないから出来ない」
「○○だと思っていた」
いつまで「出来ない理由」を並べたら自分の愚かさが見えてくるのだろう。
100並べても、1000並べても何も変わらない。
なんて不幸で、なんて気の毒なんだろう。
物事を片側からしか見ることが出来ないと、
見える世界は不幸に満ちあふれている。
自分のことしか見えていないと、
思い通りにならない周囲は皆、敵だらけだ。
多くの願いや、多くの思いを与えられていることに
気がつかない、気がつこうとしない不幸。
幸運や成長のチャンスが目の前にたくさんあることに
気がつかない、気がつこうとしない不幸。
なぜ、失敗することを恐れるの?
どうして、傷つくことを恐れるの?
何を守りたいの?
失敗しても、人間はゼッタイに駄目にならない。
傷ついて、人間は他人の痛みや本質が見えてくる。
失敗することよりも、傷つくことよりも
自分を駄目にしてしまうのは、
出来ない理由を正当化して逃げること。
よく見てごらん、小さくて愚かな自分を。
よく見てごらん、「出来ている」「出来るようになっている」事実を。
よく見てごらん、多くの人に支えられている自分を。
よく見てごらん、ちっぽけな世界で、ガラスの心で、傷つくことを恐れ
つまらないプライドにしがみついている自分を。
よく見てごらん、取るに足らない過去の呪縛の中で何も見えてない
あまりにも情けなく、恥ずかしい自分を。
出来ない理由を並べて成功した人はいない。