才能
いくら才能があるからといって
自分の才能を全部自分のために
自由に使ったのでは、
世の中は不幸になってしまいます。
才能を私物化してはいけないのです。
(成功の要諦:稲盛和夫より)
そうか! 他人(ひと)のために使うから価値があるんだね。
『死んだ時に残るものは「集めたもの」じゃなくて「与えたもの」』
っていう言葉が大好きなんだけど、共通しているものを感じるわ。
本当に心から喜びを感じるのって、
やっぱりどんなことでも他人(ひと)のお役に立てた時。
それを心から嬉しいと思えることが自分の才能だと信じている。
私には、若い頃は気づかなかったけど、
中年になってつくづく考えてみたところ、
いくつか自分で「才能」と思っているものがある。
□かなり嫌なことをやっているときでも、やっているうちに楽しくなってくる。
□割と根性がある。
□人が笑ってくれたり、喜んでくれると快感だ。
残念ながら(そして当然ながら)稲盛和夫氏のように、余る程は……
ない。
しかし、それでも自分以外のために使いたいと思う。
そして、もう一つ、最近読んだ本
「日御子」(面白かった)帚木 蓬生著 の中に、
「よい習慣は才能を超える」
という記述があった。
余りある才能に恵まれていない私には、とてもうれしくて、
勇気や元気をたくさん貰える極上の言葉だった。
この小説は、それ以外にもたくさんのプレゼントがあった。
わずかな才能は他人のため、世の中のために使い、
足りない分は、良い習慣で補おう。
なんだか立派に生きていける気がしてくるじゃないか〜(どや顔)
というわけで、今日も一日頑張ります!
以下は「成功の要諦」から抜粋
人は成功していきますと、つい、
うぬぼれてしまいます。
俺には才能がある、俺は切れ者だ、
だから俺は成功したのだ、と。
そして、その才能を
私物化するようになります。
そして、俺は会社の社長なのだから、
1億や2億の給料をもらっても
当然ではないかと
考えるようになっていく。
ところが、そうではなかったのです。
創造主は私に才能を与えてくださった。
それは、それによって社会が
うまくいくのだから、
私の才能を
世のため人のために使いなさい
ということで与えられたものなのです。
それを勘違いして、
才能を自分のためにだけ使い、
自分だけがエンジョイしたのでは、
たまたま才能を与えられなかった
人たちはみじめになってしまいます。
才能がある人ない人、
そして障害を持った人、
いろいろな人が世の中に生まれ出てきて、
その人たちが皆、
世のため人のために尽くすことによって
社会がうまくいくようになっているのです。
それなのに、
いくら才能があるからといって
自分の才能を全部自分のために
自由に使ったのでは、
世の中は不幸になってしまいます。
才能を私物化してはいけないのです。
おそらく皆さんも、
経営の才能があって
経営者となられたのでしょう。
そうであればこそ、
その才能は従業員のために
使わなくてはいけません。
同時に、皆さんの会社を
支えてくれるお客さんのために
使わなくてはいけません。
そして、それでもまだ
才能が余っているのなら、
地域社会に貢献をしなさい。
そのために、神様はあふれるような能力を
皆さんに与えたのです。
私はそういうふうに考えました。
それに気づいたのは
だんだん会社が立派になって、
ともすれば、
私も天狗になりそうな時期でした。
そのとき私は愕然としました。
そして、これは大変なことだ、
決して才能を私物化してはならないのだ、
と気を引き締めたのです。
そのように思って
社会を見渡してみれば、
政官財界のあちこちで、
さまざまな不祥事が続出しています。
私などより遥かに優秀で、
立派な仕事をしてこられた方々が
没落していかれる様子を見受けます。
それらのすべてが、
能力のある人たちが
その能力を私物化した結果として
もたらされたものなのです。
ですから私は、
ここに集まっておられる経営者の方々、
企業のリーダーの方々には、
ぜひとも哲学と呼べるほどの
レベルの高い判断基準を
持っていただきたいと思います。