本質的なものが現れてくるのが「おしゃれ」
時間の経過にさらされて、世間にさらされて、徐々に本質的なものが現れてくることを「おしゃれ」というなら、まさに! きものに傾倒し始めた女性たちは、自分の本質的な「らしさ」の追求を始めた……、ということに他ならないのではないかしら?
デザイナー 堀畑裕之さんの月一連載エッセイ 『 言葉の服 』第4回目(朝日新聞夕刊)を読んで、そんなことを感じました。

そして、お客さまの「らしさ」や「なりたい自分」を最大限に引き出して差し上げられるコーディネイトの提案をできるお店が、ネクストショップなのかもしれないと思いました。
プロには、商品知識、品性と教養、感性……、いろいろなものが求められるのだと、改めて思います。
きものと帯を合わせて、小物を添える。
それはさながらお料理のようでもあります。
最近、ふと思うことは……、
きものと帯のコーディネイトで、そこに愛を感じたり、ものがたりを思ったりするほど、見事で申し分のない……「いやぁ〜、参ったなぁ」「うわぁ、これは見事だな」と思うコーディネイトと出会うと、いいようのない喜びや憧れや幸せを感じます。
そこに、小物がエッセンスとして加わって、まさにグッドやナイスやエクセレントを遥かに凌駕した、「ビューティフル」なコーディネイト。
これにはもう、見ているほうまでうれしくなってしまいます。
それほどまでに似合っている人がいる一方で、
きものと帯がミスマッチを起こしているのを、無理矢理小物で調和させている「力一杯頑張ってる」コーディネイトや、着る人の強烈な個性で強引にきものや帯を牛耳っていて、他人に思わず「ステキ」と言わせてしまう……という圧倒的なカリスマ的着こなしもあります。これは見ているほうは少々くたびれてくるように思います。
どれも格やTPOに不足はないのだけれど、そして、一見するとどれもまずくはないけれど、いや、美味しい。確かに美味しいんだけど……静かな感動があるのはやっぱりビューティフルなコーディネイト。
例えて言えば、新鮮で最高の素材の味や旨味を最大限に引き出した料理……。調味料は絶妙な使われ方で決して主張していない。日本料理がまさにそんなイメージかな。
一方、素材の不足を調味料が全力で補っている料理……、原型をとどめない程ぐつぐつ煮込んで香草とか激辛調味料で整えたようなイメージ。
どちらも美味しいけれど、後者は毎日食べるにはどうもしんどい。
シンプルで、らしさが出ていて、長く愛せる、生涯の愛着にこたえてくれる、そんなきものと帯を提案してくれる「ビューティフル」な呉服屋さんがあったら、そこはきものファンにとってパラダイスだろうなぁと思います。
洋服では実現することのできないレベルのことを、きものは「おしゃれ」に……、つまり、着る人の本質的な美しさを引き出すことができるんじゃないかなと、そんなコトを考えながらの出張中。
車窓の雨は来る季節のいのちの源。
そろそろ桜も終わり、いよいよ生命(いのち)のエネルギーを感じる新緑の季節へと移ろいます。
デザイナー 堀畑裕之さんの月一連載エッセイ 『 言葉の服 』第4回目(朝日新聞夕刊)を読んで、そんなことを感じました。

そして、お客さまの「らしさ」や「なりたい自分」を最大限に引き出して差し上げられるコーディネイトの提案をできるお店が、ネクストショップなのかもしれないと思いました。
プロには、商品知識、品性と教養、感性……、いろいろなものが求められるのだと、改めて思います。
きものと帯を合わせて、小物を添える。
それはさながらお料理のようでもあります。
最近、ふと思うことは……、
きものと帯のコーディネイトで、そこに愛を感じたり、ものがたりを思ったりするほど、見事で申し分のない……「いやぁ〜、参ったなぁ」「うわぁ、これは見事だな」と思うコーディネイトと出会うと、いいようのない喜びや憧れや幸せを感じます。
そこに、小物がエッセンスとして加わって、まさにグッドやナイスやエクセレントを遥かに凌駕した、「ビューティフル」なコーディネイト。
これにはもう、見ているほうまでうれしくなってしまいます。
それほどまでに似合っている人がいる一方で、
きものと帯がミスマッチを起こしているのを、無理矢理小物で調和させている「力一杯頑張ってる」コーディネイトや、着る人の強烈な個性で強引にきものや帯を牛耳っていて、他人に思わず「ステキ」と言わせてしまう……という圧倒的なカリスマ的着こなしもあります。これは見ているほうは少々くたびれてくるように思います。
どれも格やTPOに不足はないのだけれど、そして、一見するとどれもまずくはないけれど、いや、美味しい。確かに美味しいんだけど……静かな感動があるのはやっぱりビューティフルなコーディネイト。
例えて言えば、新鮮で最高の素材の味や旨味を最大限に引き出した料理……。調味料は絶妙な使われ方で決して主張していない。日本料理がまさにそんなイメージかな。
一方、素材の不足を調味料が全力で補っている料理……、原型をとどめない程ぐつぐつ煮込んで香草とか激辛調味料で整えたようなイメージ。
どちらも美味しいけれど、後者は毎日食べるにはどうもしんどい。
シンプルで、らしさが出ていて、長く愛せる、生涯の愛着にこたえてくれる、そんなきものと帯を提案してくれる「ビューティフル」な呉服屋さんがあったら、そこはきものファンにとってパラダイスだろうなぁと思います。
洋服では実現することのできないレベルのことを、きものは「おしゃれ」に……、つまり、着る人の本質的な美しさを引き出すことができるんじゃないかなと、そんなコトを考えながらの出張中。
車窓の雨は来る季節のいのちの源。
そろそろ桜も終わり、いよいよ生命(いのち)のエネルギーを感じる新緑の季節へと移ろいます。
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